ひとりごと

帰省のモヤっとエピソード

もえ
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今回は、実家に帰省したときのモヤっとした出来事について考えたいと思います!

帰省のモヤっとエピソード

夏休みが始まりますね。今年のお盆休みは、夫の家族と九州旅行に行く計画を立てています!車で30分の距離の私の実家へは、私のきょうだいが集まるタイミングで帰省する予定です。

家族みんな割と仲が良いので、実家にたびたび帰っているのですが…実家に帰ると、高確率でモヤモヤする出来事が起こります。子どもを産んで、性教育を学びはじめて、より一層モヤっとするのです。そんなモヤっとエピソード、聞いてくださーい‼

帰省のモヤっとエピソード

いわゆる昔ながらの家

私は家を出るまで、祖父と両親、4きょうだいの7人で生活していました。実家はいわゆる昔ながらの家で…祖父と父は、電子レンジの使い方がわからないとかなんとか…なので、特に祖父のお世話?があるから、母が家を丸1日空けることは数年に1回あるかないか。私が小学生の頃は、お風呂の順番も祖父が一番風呂、その後に父…みたいなこともありましたね。

ちなみに、私の父は数年前に電子レンジの使い方をマスター!母がいなくても作り置きのご飯を自分で温められるんだとか。最近では、自分の食べた食器を流しに持って行ったり、たまに皿洗いをするらしいから驚きです…!

家父長制の価値観が色濃く残る家で育った私。もちろん、実家で暮らしていたときからモヤモヤすることは多々ありましたが、実家を出て、子どもを産み育て、そして”包括的性教育”を学びはじめてからというもの…まぁ、実家に帰るとモヤモヤするんです!

”男の子だから”にモヤモヤ

私の実家で頻繁に出てくるのが、”男の子だから”という言葉。ちなみに、祖父や両親だけでなく、私の7つ下の弟も言います。転んで泣いている息子に、「男の子なんだから泣かないの」とか「痛くない、男やから耐えろ!」とか…

そんな言葉をかけられ続けたら…?男の子はどんな気持ちであっても泣いてはいけないと思ってしまうかもしれない。辛い思いをしているのに辛い、助けてと言えなくなってしまうかもしれない。そうなってしまったら、生きていく上でものすごくしんどいと思いませんか?(ちなみに、こういうものを”有害な男性性”といいます。)

実は、私も性教育を学ぶ前に子どもに同じようなことを言ったことがあります。男の子だから~という言葉は使わないようにしていましたが、転んだ息子に「痛くない、大丈夫、強いね~」なんて何の気なしに言っていました。

自分のからだとこころは自分のもの。自分が感じたことは大切な自分の気持ち。感じてはいけないことなんてない。と、今でこそ当たり前やん、そんなこと!と思えるけれど、性教育を学ぶまで本当に知らなかったんです。

転んでどう感じるかは、転んだ人にしかわからない。転んでどう感じたか、それは他人が決めることではない。性別なんか、ホント、マジで、いっさい関係ない。痛いときは痛いと言って、涙が出るなら我慢せずに泣いていい。私はそう思います。

このモヤっと、どうする?

そのままにしないことにした!

実家で暮らしていたときにモヤっとすることがあっても、特に祖父には「ややこしくなるからお願いだから言い返さないで」と母親に止められていました。(今思うと、それにもモヤっとなんですが…)

しかし!今は違います。モヤモヤをそのままになんかしません。わが子向けられる ”男の子だから”などの呪いともいえる言葉の数々。自分にならまだしも、子どもたちに向けられたものとなると話は違います。母には今でも止められますが、それは「ごめんなさい、子どもたちのためにしたくありません」とお断りしています。

実際には、”男の子だから”以外にも割と強めの呪いの言葉をかけられているので、「わが子にそんなん言われて、なんで黙って聞いとかなあかんねん!」と言葉を選ばずに大爆発しちゃいます。伝え方は考えないとなぁと、毎回反省していますが…

まだまだ勇気がいるけれど…

家族だけど言いにくいのか、家族だから言いにくいのかわかりませんが、それってどうなん?と伝えることに、私は抵抗がありました。祖父や両親の言うことは絶対!という環境で、祖父や父に思うところがあっても我慢して耐えている母親の姿を見続け、言わない方がいいのかも…と思ってきました。

そんな私が自分の思いを伝えられるようになったのは、性教育を学んだ影響が大きいと思っています。一人ひとり考えていること、感じていることは違うこと。それぞれ違った価値観の人がいるだけだということ。自分の気持ちを大切にしていいということ。それはどうなんだろう?を言葉にしても、相手を否定しているわけではないということ。

大切に思う家族と心地よい関係を築いていきたいと思っているからこそ、私はモヤっとした気持ちも伝えたいと思うのです。まだまだ勇気がいるけれど…子どもたちのために、私のために、声を上げたいと思っています。

私の実家もちょっとずつ変化してる

先月実家に帰ったときのこと。転んで泣いた三男に、弟が「男やろ、耐えろ!」といつものように冗談っぽく言ったあと、ハッとして私の方を見ながら「言ったらあかんな」と。(そのあと、「私に怒られる~」と言ったのは、ひと言余計やなと思いましたが)

他にも、祖父が子どもたちに、男の子だから~、お兄ちゃんだから~と言っていると、母親が祖父をたしなめてくれるようになりました。(私が言うとややこしくなるから、自分で言ってるだけかもしれないけれど…)

私は私で、祖父には祖父の、母には母の、私には私の価値観があって、世代によってギャップはあるものだと思えるようになりました。祖父や両親もその時を生きる中で辛い思いをきっとたくさんしてきているよな、と少しずつですが相手のことを想像できるようになっています。

そして、両親が自分たちの苦しみを私たちに残さないように…と思ってくれているのも知っています。私も、これからを生きる子どもたちが自分らしく幸せに生きていくために何を伝えたらいいだろうと考えるようになりました。

さいごに

ジェンダーの話や性の多様性の話を実家ですると、「また、はじまったわ」と言われます…(夫も、親戚が集まってワイワイしているときの雰囲気をイマイチにしてまで言うことでもないかな?と思っているそうです)些細なモヤモヤと思われても、「また、はじまったわ」と言われても、私はあえて波風立てます!!!

と言っていますが、みんなで集まれるのは本当に嬉しくて楽しくて。去年の夏は、みんなで花火をして、子どもたちと甥っ子たちが遊んでいるのを見ていると昔の私たちを見ているよう。帰省でモヤっとすることもあるけれど、でもやっぱり大切な人たちと過ごす時間をお互いに心地よく過ごせたらいいなと思っています。

もえ
もえ
大切に思う家族だからこそ、より良い関係性を築いていきたい!お互いの思いを話し合えるようになれたらな、と思っています