見た目について考える
私は今年、三男の育休復帰をきっかけに、長男出産後から勤めていた保育園を退職し、地域の皮膚科クリニックで働き始めました。保険診療が中心ですが、美容皮膚科の相談もあり、さまざまな「見た目」に関する悩みに触れてきました。
しみ、しわ、たるみ、肌の色、体毛――。 そこには「こうあるべき」「こうでないとよくない」という、価値観が見え隠れします。性教育を学ぶ中で”ルッキズム”に関する書籍を読んだこともあり、見た目に関するお悩みを聞くたびに考えさせられるものがあります。
今日は、そんな日々の中で感じている「見た目についてのモヤモヤ」と、そこから考えた「子どもたちに伝えたいこと」を、整理して書いてみたいと思います。
見た目についてのモヤモヤ
家族の何気ない一言が、心に残る
皮膚科クリニックで働いていると、「見た目」の悩みを抱えている方に多く出会います。見た目に関する相談を受けながら、社会的にこうあるべき、こうあった方がよいという価値観について、ん?それってどうなの?と思うことが増えてきました。
「見た目」について考える中で、私自身の過去の記憶も、次々と呼び起こされ…私が家族に言われた見た目に関することで、今でも覚えている根深いものを少しご紹介。
- 私は父親似で、母はぱっちり二重。弟二人は母似でした。そのため、子どもの頃から「目が小さい」「鼻がぺちゃんこ」と、家族に言われて育ちました。ちなみに、私の子どもたちにも同じように言われます。
- 中高生の頃には、弟から「毛がある女子は無理」と言われたこともありました。肘や膝の剃り残しを見て言われた一言。今でこそだからなんやねん!と思えますが、当時は毛って気持ち悪いもんなんかなと受け取ってしまっていました。
と、これ以外にもいろいろあったな…と振り返って思います。これらの言葉は、私にとってチクチクとげが刺さったような、モヤモヤふとしたときに思い出す心に引っかかる感じ。大きな傷にはならなかったけれど、十数年前のことだけれどまだ思い出せるほどに残っているものです。
家族の影響だけじゃない
もちろん、影響は家族だけではありません。友人、学校、テレビ、雑誌、そして今はSNS。「若いほうがいい」「細いほうがいい」「白いほうがいい」「毛はないほうがいい」――そんなメッセージが、あちこちから流れてきます。今を生きる子どもたちは私たちのころよりずっとしんどい思いをしているんじゃなかろうか、これからわが子たちもしんどい思いをするんじゃなかろうかと、親としてはすごく心配…
皮膚科では、小学校低学年の脱毛相談もあります。その他さまざまな「見た目」についての悩みに触れるたび、これは個人だけの問題ではなく、社会全体の問題だと改めて感じます。私自身もまた、その空気の中で育ち、無意識のうちに人を見た目で判断したり、評価したりしてきました。傷つけられた経験があると同時に、誰かを傷つけてきた側でもあります。だからこそ、「見た目」についての問題は、私たち一人ひとりが影響を受け、加担してしまいやすいものなのだと思うのです。
子どもたちに伝えたいこと
無意識の思い込みに気づく大人でありたい
今の子どもたちは、私たちが子どもだった頃よりも、ずっと多くの情報にさらされています。SNSや動画を通して、理想の見た目が大量に流れ込んでくる。だからこそ、子どもに私たちがそれってどうなんかな?と疑問を投げかけたり、その価値観はちょっと心配かも…と伝えられるようになっておきたい。
こうあるべき、こうあった方が良いという、無意識の思い込み、思い込まされている、すり込まれているものに、大人が気づくのがまず大事だなと思います。こうありたい、こうなりたい姿を誰かに決められていないか、自分自身がのぞんでいるものなのか。と、立ち止まって考えられるように、自分の心地よさを自分で決められるようになってほしいと思っています。大人が自分たちの価値観を問い直す姿勢そのものが、子どもたちへのメッセージになるのではないでしょうか。
長男との会話から考えたこと
ある日、買い物の帰り道だったと思います。長男がふと、 「もう少ししたら、ママくらいの身長になれるかな?」と聞いてきました。その場には夫もいて、「パパは中学2〜3年生くらいでママくらいの身長やったかな」なんて会話をしながら、 「あと7〜8年くらいかなぁ」と、なんとなく先の話をしていました。
そのあと、長男に「パパくらい大きくなれるかな」と聞かれました。長男はきっと、「早く大きくなりたい」 「早く大人みたいになりたい」 そんな気持ちで聞いただけだったと思います。でも私は、”背が高いほうがいい” というメッセージを、知らず知らずのうちに渡してしまわないかな、とちょっと気になったのです。
私は150cmと、決して背が高いほうではありません。なので、”どうやろうなぁ”と思いながらも、 「背が高いと、高いところのものが取りやすいとか、やりたいスポーツによってはいいってこともあるかもしれへんね」と。「でも踏み台を使えば届くし、届く人にお願いすることもできるしなぁ」 「背が高くても低くても、長男のペースで大きくなれたら、ママはそれでいいなって思うよ」と、そんなふうに伝えてみました。
きっと長男は、そこまで深く考えて聞いていたわけではないと思います。それでも、 「背が高いほうがいい」 というような、自分の力で変えられないようなことに対して、こっちのほうがいい!というメッセージが伝わってしまうことが怖かったのです。
というのも、弟が中学生の頃に「背が低いのがほんまに嫌で、消えてなくなりたい」と打ち明けてくれたことがありました。手のレントゲンを撮って、これ以上身長が伸びるのかを病院で調べてもらうのに、付き添いとして一緒に行ったことがあります。身長なんて、自分の努力ではどうにもできないこと。偏った価値観がここまで人を追い詰めるのか、と私の記憶に今でも残っています。
だからこそ、正解の言葉があるとは思っていませんし、今回長男に伝えるほどのことだったのか、私としてもよくわかっていません。5歳の長男に、どこまで伝わっているかもわかりません。それでも、大人が感じている違和感を、そのままにせず言葉にすることが大切なのではないかと思っています。
自分の心地よさは自分で決める
見た目について子どもたちに何かを伝えることも大切だと思いますが、私が大事にしているのは、 自分で心地よさを決めている姿を見せること。
私は、1年365日のうち、化粧をするのは月に1〜2回程度なので、350日くらいはすっぴんで過ごしています。未就学の子どもが3人いるからできないのではなく、「しない」を選んでいる、という感覚が近いです。(え?まじで!?となった方もいらっしゃるかな、と思います。マジです。)化粧をしないことであれこれ言われた経験があるので、頑張ろうとしていた時期もありました… それでも、結局化粧をしない!が今の私にとっては、心地よい。ので、していません。
あとは、脇の毛について。以前、美容脱毛に通っていた時期もありましたが、妊娠をきっかけにやめました。今は、夏場は人目が気になって処理をすることもあるし、冬は気が向いたときにする、というくらいなんですが…ある日、お風呂で長男に「ママ、何してるの?」と、脇毛を剃っているところを見て聞かれました。
心の声は、”そんなん聞かんとって~~~” ですよ。でも、ここは子どもの疑問に真摯に向き合おうじゃないか、と「大人になると脇毛は生えるんだよ」 「でもママはね、気分で剃ったり、剃らなかったりしてるんだ」というようなことを言ったのを覚えています。
そう答えながら、私自身も、 完全に『こうあるべき』から自由になれているわけじゃないな、と感じましたね。人の目を気にして行動している自分も、確かにいます。ただ、それをわかって行動しているというのは、大切なのかなとは感じています。こうあるべきから完全に自由になれていなくても、自分で心地よいを決めているという感覚は持っておきたいなと思っています。そのためにまずできることは、私自身が、完璧じゃなくても、矛盾を抱えながらでも、考えて選んでいる姿を見せることなのだと思っています。
さいごに
見た目に関する価値観は、とても根深く、簡単に手放せるものではありません。それでも、 こうあるべきは誰が決めたのか、私は本当はどうしたいのか、については立ち止まって考えることができるんじゃないかと思います。
子どもたちには、自分の心地よさを、自分で選べる人になってほしい。誰かを傷つけ、自分を縛るような無意識の思い込みが子どもたちの周りにあるようであれば、近くにいる大人として、私はこう思うよ、を手渡したいなと思います。
前回、ツルリンゴスターさんの講演会でルッキズムのお話がチラリと出てきました。講演の中で漫画を2つ紹介してくださいましたので、せっかくなのでここでシェアできたらな、と。考えさせられるお話ですので、ご興味のある方はぜひに。










